「超音波検査とマンモグラフィの結果と針生検」【ケビ子の乳がん・ニューライフ vol.3】

Marisol

第2回では初めての乳腺外科を受診。超音波検査とマンモグラフィを受けたケビ子。

マンモグラフィの激痛や病院あるあるへの共感も多数寄せられた。乳がん・ニューライフ (第2回はこちらから) 

第3回目は超音波検査とマンモグラフィの結果を医師から聞き、さらなる検査へと進む。



【超音波検査とマンモグラフィの結果と針生検】
超音波検査とマンモグラフィ検査を終え、再び乳腺外科の待合で待機。
ほどなくして名前を呼ばれ、先生から超音波とマンモグラフィの検査結果の説明を受ける。


「しこりの大きさは1.4cm×1.7cm 期待を持たせても仕方がないからはっきりと言うがほぼがんだと思う。ついてはタイプを調べるから針生検をしよう。そしてスピードを速めたいからMRIとCTの予約もしちゃおうか。超音波検査で嚢胞の可能性もあるとも言っていたけど、これからの検査ではっきりするから」


流れるように説明があった。説明に無駄がない。タイプだ。相性がよさそうだと直感が働いた。


針生検とは細胞の一部ではなく、組織の一部を採取して調べる組織診のこと。
先生はベッドに寝て麻酔を打っておちちのしこり患部に針を3回刺して細胞を取る、そういうようなことを言っていた。


先生が「病理まだ?」と何度か看護師に聞いていたが、専門の病理の方が来るようだ。
2回ほど催促の電話をかけて、ようやく全員が揃ったところで麻酔から生検が始まる。
ねずみ取りのようなバチンバチンという音が1回の生検で2回、それを3回やった。
「痛みは大丈夫?」と聞かれたが麻酔のおかげでちくっとするくらいのもの。
しかしこの針生検の痛みはその後の全ての検査結果が出るまで数週間続き、痛みと不安が私を立派ながん患者に育てるのだなと納得する絶妙なプロセスに感じられた。
イニシエーション、とでも言ったらよいだろうか。
結果、1か月近く痛みと黄あざ青あざが消えない大変な検査であった。


針生検が終わり、ベッドの上で着替えながらなんだかオオゴトになってきたなとまた泣いた。
今度はタオルをくれないので、自分のハンカチで涙を拭いた。
もみあげが白髪の看護師は相変わらずつんけんしている。


「みんな最初は泣くんです。女性はそれでも覚悟が早いから次回以降は明るく前向きになる人が多いんですよ」先生は好き勝手を言う。
「何が前向きじゃ」と思いながら話を聞いた。


今後の検査予定と家族と一緒に来院する日を決めて、診察室を出たらMRIとCTの検査説明と血液検査で終了となった。
【女が病気になると離婚率は男の場合より6倍高い?】
家族と一緒に説明を聞く。これはもうがん確定ってことだろう。
夫になんて言ったら良いんだろう。
病気の妻の世話に疲れ、自由に行動できない妻に嫌気がさし、夫婦仲が険悪になって捨てられるかもしれない。
病気だからって甘えてお菓子を食べ過ぎだと責められるかもしれない。


「女性 がん 離婚率」で検索してみると実際に女性が重篤な病になった方が男性の場合よりも離婚率が6倍あがるという研究結果の記事にたどり着いた。
男は女の良いとき以外受け入れられない生き物(一部)なのだな。
(出典: Cancerwith.com 女性患者の離婚率は男性の6倍?)
エビデンスとされている記事も読んでみたが「重篤な医療疾患患者におけるパートナーの放棄率における男女格差」と刺激的なワードが並んでいた。
放棄率というのか。面倒見切れん!というやつだな。


帰り際に先生に「夫にどの程度の話をすれば良いんでしょうか。夫が心配性で、いきなりがんだと伝えたら泣いてしまいます」と相談した。
なんて言ったら良いのか言葉が浮かばなかったのだ。
「へ~!あ~そう!優しい旦那さんだね!」と先生も少し考えて「段階を踏んで、『がんの疑いがあるから細かい検査をしているところ。』こういう感じでいきましょうか。ほぼがんだけど、今すぐがんだと伝えたらショックでガーンだから」と。

まだ愛想笑いをする余裕があった。


この日、夫はゴルフの予定だったので一人黙って病院に来る予定だったのだが、前日にゴルフがキャンセルとなり、病院に行くことをしぶしぶ伝えた。
診察を終えて病院を出ると夫からちょうど連絡が来た。「迎えに行こうか?」と。
夫からの連絡はいつでも嬉しいが、今は一人で頭の整理をしたい。


12時を少し過ぎたころだったので、「ファミレスでも行こうか」とまた連絡。
嬉しいけど、「ちょっと一人になりたい」と返事をして病院近くのドトールに入った。
ミラノサンドAとアメリカンコーヒーのSサイズを頼んで席に座った。
少し肌寒い日だったが、前日までの暑さを引きずって半袖を選んでしまい、採血の絆創膏が見えている。
私の右の席にはポニーテールの女性。
彼女の左腕にも私と同じ採血の絆創膏。
「お、仲間」とこれだけで嬉しくなる。


今のしこりの大きさと脇への転移がないことから、検査結果と手術をしてみないとはっきりは言えないがステージはおそらく1だろうとのこと。
今後、いくつかの検査を経て家族と一緒に説明を聞く日ががん告知日となるようだ。
その日からがん患者となるのであれば、今は研究生、ってところか。


これから細かい検査をして他の臓器にがんがないか、乳がんのタイプ(先生は顔つきと言った)は何かを調べて治療方針を決めていく。
現状、乳がんの可能性が極めて高いという情報のみが与えられ、どういう状況かは自分で全く見当がつかない。


胸は全部取るのか、抗がん剤はやむなしか、入院期間はどのくらいなのか、手術はすぐするのか。
生存率なんて数字も聞くことになるのだろうか。
この時点での乳がんに関する知識は数年前に母親が乳がんに罹患したときのものがすべてであるから、患部がある方のおちちを全摘し、抗がん剤とホルモン剤で食事も摂れず、髪も失い、手先が変色し、弱ってしまった姿がフラッシュバックしこれ以下はないだろうというくらい気落ちした。


母には何て言ったら良いのか。
今入院中だっていうのに!


生きるか死ぬか、というのは健康だったからこその病気観だった。
いざ目の前に病気がぶらさがると、煩悩がフル回転する。
おちちははどうなる、髪はどうなる、きれいに生きたい、きれいになりたいと美に執着する。


夫に愛されたい。
ずっとずっとこれからもずっと夫からかわいがってもらいたい。
私の人生はただそれだけなのだ。放棄なんて困る。
夫を大事にしよう。
毎日意地悪を言うのをやめよう。
とんかつの大きい方は夫に喜んであげよう。
私が乳がんになっても大好きだと言ってくれるのか。
本当に不安だ。


病気になって愛を疑うばかりだが、それほど自信を失う経験であった。



つづく

*次回【Vol.4】は1/28公開予定です
 
※この記事はケビ子さんの体験に基づいて書かれており、2021年12月現在の情報をもとにしています。
治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません
カモチ ケビ子
43歳で結婚、47歳で乳がん。
心配性の夫、奴さん(やっこさん)はなぜか嬉しそうに妻の世話を焼いている
Instagram(@kbandkbandkb)

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April 24 Wed